庭園鑑賞の予備知識を身につけよう!
- 日本庭園のなりたち
- 日本庭園のみかた
- 稙栽
- 石の種類
- 石組み
- 水景
- 建造物
- 借景
- 季節ごとの魅力
- 庭園の維持
- 作庭家
- 全国指定名勝庭園一覧
Q1.日本庭園のなりたちって?
奈良時代以前
日本庭園の明確な発祥を特定するのは難しい。もともと日本にも、岩石を神に見立てて祭祀となす文化があった。そこに隋から神仙蓬莱思想が輸入され、併せて現在の日本庭園の原型となったと考えられている。実際飛鳥時代の遺跡からは、造形されたと思しき石や島の痕跡が発見されている。奈良時代に入ると庭園文化は発展し、多くの貴顕が優美な苑池を築くようになり、曲水の宴が流行した。

平安時代
平安京に都を移すと神泉苑(現在二条城の南に跡を残す)が着工された。他にも苑池が次々に作られ、曲水の宴の隆盛も続いた。時を経ると鑑賞の視点を変えるために寝殿造庭園が勃興する。しかしこの時代特記すべきは浄土式庭園の発達だろう。従来の神仙思想とは異なり、阿弥陀信仰を基とした作庭思想の影響は大きく、藤原道長や白河法皇も浄土式庭園を築造している。浄土式庭園は中央から地方にも広がり、なかでも奥州藤原氏は優れた庭園を多数残した。

鎌倉時代~安土桃山時代
当初は寝殿造庭園や浄土式庭園の作庭が続き、鹿苑寺(金閣寺)も誕生する。しかし鎌倉時代の後期に入ると禅の思想が芽生え始め、日本庭園にパラダイムシフトが起こる。蘭渓道隆や夢窓疎石は禅を庭の主題として作庭し、新しい世界を切り開いた。山梨の東光寺や、鎌倉の瑞泉寺にその思想が息づいている。ここに生まれた龍門瀑と石橋は後代においても庭園の重大なモチーフとなった。時代を下ると雪舟が作庭に腕を振るい、足利義政が善阿弥に命じて慈照寺(銀閣寺)を作らせた。応仁の乱が起こると京都は荒廃してしまったが、再建の機運もあった。各地の守護大名もそれぞれの領地に庭園を築き、庭園文化は形を変えて存続した。織田信長と豊臣秀吉も覇権を握りつつ醍醐寺三法院などに庭園を築いた。

江戸時代
大名庭園の隆盛がこの時代の特色だ。これらは思想や視点に特化しない総合的な大庭園で、広大な空間を回りながら景勝を楽しむことができた。言い換えれば歩きながら楽しめるアトラクションであり、現在でも観光の名所として親しまれているものが多い。岡山後楽園や浜離宮庭園がその好例だ。陰陽和合を主題として家門繫栄を願うものも多くあった。蓮華寺や頼久寺など寺院にも大量の庭園が作られた。時代を下るにつれ庭園文化は庶民にも浸透し、一般民家にもささやかながら庭園が造られようになった。全国に作庭の諸流派が分かれ、名を残したのもこの頃だ。

明治時代~現代
廃藩置県により大名が解体された時代、庭園の築造に励んだのは政治家や資本家だった。この時代作庭と言えば小川治兵衛の独り舞台だった。彼は京都の円山公園や大阪の慶沢園など各地に名園を造り、その作品群は今でも絶賛されている。庭園とは別の名称として公園というカテゴリが政府によって布告され、少なからぬ数の日本庭園が公園に指定された。西洋の文化が雪崩を打って入り込み、新設される公園も洋風のものが多くなった。ここに至って庭園は日本庭園と洋風庭園に二分されることとなったといっていいだろう。昭和に入ってのちの日本庭園は築造されるだけでなく、高度な学問として体系化され、資料の編纂、遺構の調査や復元等が進んだ。公園も和洋折衷のものが多く造られ、現代思想を取り入れた斬新な庭園が姿を現すようになった。これらは主に重森三玲の力が大きい。戦後から現代まで、日本庭園という存在は研究対象として熱い視線を投げかけられている。そして今日も尚新しい庭園が造られ続けているのである。

Q2.日本庭園のみかたって?
池泉回舟式
船を池に浮かべ、池の中を漕ぎながら鑑賞する様式。平安時代に多く見られた。嵯峨大覚寺や平泉の毛越寺などが有名。現代この鑑賞方式は(イベントは例外として)ほぼ取られていない。

池泉回遊式
池泉の周りを歩いて鑑賞する様式。多くの人にとって一番なじみのある鑑賞形態だろう。主に江戸時代以降、大名庭園を皮切りに多く造られた。仙洞御所、桂離宮など現代に残る大きな庭園はほぼこの様式である。(京都以外の)観光地となっているスポットは概ねこの様式と言い替えても良い。規模が大きいと高低差がある移動が必要なことが多く、意外と運動になる。

座視鑑賞式
庭に降りるのではなく部屋から眺める鑑賞の様式。比較的小さな庭に用いられる。代表は滋賀青岸寺など。どの視点で見るかが予め決まっており、庭園の表情を違った角度から見ることはできないが、その分完成度が高く、焦点が定まった姿勢を見ることができる。枯山水にもこの様式が多い。定点から見せることで、遠近感を利用した奥行きの深さを演出できるというメリットがある。

Q3.植える草花に決まりってあるの?
普段意識することはないが、日本庭園には様々な植物が植えられており、それぞれが違う役割を担っている。ここでおおまかな分類を紹介する。
役木
実用的な役割を持つ木々のこと。
木斛
常緑樹の木斛はポピュラーな庭木で、楕円形の葉っぱを年中鑑賞できる。築山庭の主木となる他、石灯籠のそばや、門や茶庭に植えられ存在感をアピールする。
松
門に添えられるほか、前後に配して中島などの主木を引き立たせる役割を持つ。池畔に植えて枝を伸ばし、水と地面の境界を柔らかくしたりもする。
糸桧葉
常緑樹の糸桧葉はヒノキ属の木だ。樹形が乱れにくく、病害虫の発生もないので、景観を保ちやすい。
榧
種子から採取できる油を燈明に用いることができるなど、実用的な側面があったため、元々は好んで庭木として植えられてた。現代では珍しい庭木となっている。
モチノキ
モチノキも、木斛と同じく楕円形の葉を生やす常緑樹。柊木とかなり近い植物で、主木としての適性をもつ。
木犀
木犀は、住宅街でもよく見かける常緑樹だ。秋になると良い香りのする「金木犀」とあまり香りのない「銀木犀」がある。

テーマ
木々の性質を理解しておくことで、庭の環境や機能・デザイン・演出などに合わせた植栽が可能になり、生育も容易になる。
常緑樹は一般的に、主木としたり敷地の境界に沿って植栽され背景としたり、枝葉が密であることを利用して隣地との目隠しなどとして用いられる。
落葉樹は一般的に、暑い季節に日陰を作り冬場には日当たりをよくしたり、葉の変遷で季節感を引き立たせりする。
葉や実に色彩を持つ木々は、四季の変化を引き立たせ、季節感を演出する。カエデ、サザンカ、サルスベリなどがある。
果実をつける木。食べられるもの(ミカンなど)と鑑賞用(南天など)に分けられる。
芳香花木。咲いた花に良い香りをもっている樹種。視覚に加え、嗅覚にも訴える。金木犀が有名。
他に、乾燥地に強いもしくは湿潤地に強い、成長が早いもしくは遅いといった樹種の区別も存在する。

下草
稙栽の下層空間を占め、他と連携して空間の調和に貢献する。
常緑性のものとしてはエビネ・オモト・ツワブキなどがある。
落葉性のものとしてはアジサイ・イワヒバ・キキョウなどがある。

苔
日本庭園の象徴の一つであり、主役の一つ。
| スギゴケ | 人気ナンバーワンの苔。直立し、杉のような葉が特徴。 |
| スナゴケ | 日光にも乾燥にも強く繁殖しやすい苔 |
| ホソバオキナゴケ | 丸みを帯びたふかふかの苔。三千院など。 |
| ハイゴケ | 育てやすく、個人栽培も可能 |
| シノブゴケ | ハイゴケと同様、苔玉によく使われる |
| ヒノキゴケ | 腐葉土上に自生している |
| カモジゴケ | 乾燥・暑さ・積雪にも強く育てやすい |

Q4.どんな種類の石があるの?
銘石を全国から数多く集め各所に配した東京の清澄庭園に多くの種類を見て取ることができる。いずれも水石としても楽しむことができる表情豊かな石の数々だ。山・石・川のどれから採れるかでもおおまかな分類はできる。
| 伊豆磯石 | 波の接触により表面に凹凸が出来ているのが特徴 |
| 伊豆川奈石 | 伊豆産の石で、凝灰岩の一種 |
| 伊豆式根島石 | 伊豆諸島で採れる抗火岩。やわらかで加工しやすいのが特徴 |
| 秩父青石 | 秩父地方に産する青緑色の結晶片岩。主に緑泥片岩で石碑、庭石などに用いる |
| 摂津御影石 | 摂津産の花崗岩。水鉢に使われることがある |
| 佐渡赤玉石 | 鮮やかな色の佐渡産の名石であり、現在は採掘禁止になっている。貞観園が有名 |
| 相州加治屋石 | 神奈川県産。庭石としてはあまり使われない |
| 三波石 | 中央構造線に沿って分布する。石英を含み青緑色・白色・黄緑色等の波紋様を示す |
| 真鶴石 | 神奈川県真鶴町産。現在は墓石としての需要が多い。経年により風格が備わる |
| 保津川石 | 嵯峨及び保津川周辺から採掘。暗青色が主で、白条が縦横に入り、美しく品格のある石 |
| 生駒石 | 奈良県生駒山付近から産出する硬質の花崗岩。白みを帯びたものと黒みを帯びたものとがある |
| 備中御影石 | 硬く、美しい青緑の色合いが特徴の御影石 |
| 伊予青石 | 青石の中で最も有名なもののひとつ。三波石の一種で、重森三玲が好んで用いた。 |
| 大和御影石 | 墓石や小物に使われる兵庫県産の花崗岩 |
| 稲井石 | 通称仙台石。粘板岩であり、薄くはがれやすい特質を持つ |

もっとも、同じ庭石でも形や据え方によって与える印象は全く異なる。橋や灯篭として用いるか、原石を据えたり並べて置くかでも相当に違う。いかに風景を最適化するかが作庭家の腕の見せ所だ。
Q5.石の組み方に決まりってあるの?
須弥山
須弥山に見立てた背丈の高い石を中心とした石組。須弥山とは、仏教の概念において宇宙の中心であり、九山八海にそびえる山のことで、その頂上には天上人が住むとされてる。須弥山石組では、須弥山を表現した須弥山石を中心としつつ、九山八海まで含めて、全体の石組によって表現する。蓬莱石組を兼ねるときもある。ただ、九山八海全てを表現するいわゆる九山八海の庭の作成は非常に難易度が高いとされ、野心的な作品と言えるだろう。

蓬莱石組
蓬莱石組とは、平安時代頃に生まれた神仙思想に基づく石組である。神仙思想とは、道教の流れを汲むもので、東方の海の彼方に蓬莱島があるという概念を指す。蓬莱山は巨石で表現する。蓬莱島に向かう船を表現するため舟石を配置することもある。鶴石・亀石もこの思想に則った石組である。長寿延年を祈願するため、鶴・亀の長寿の動物をかりて、その形を庭に意匠したものだ。亀石組は亀頭石など複数の石を用いて表すものが多い。 鶴石組は長い首を表現した鶴首石や、羽を表現した羽石を抽象的に用いて表すものが多い。

三尊石組
仏教の三尊仏のように組む石組。中央に大きな中尊石、左右に脇侍石を据えて構成し、薬師三尊や不動三尊を模して、信仰の対象とする。礼拝石という平たい石の上から見るのが一般的。宗教心の有無にかかわらず見た目の美しさから重用され、一つの庭に複数の三尊石があることも珍しくない。

七五三石組
中国で古来から信じられてきた陽の数、奇数の代表的数字、七・五・三という吉数の石を用いて石組みとするもの。龍安寺の石庭がとくに有名。

陰陽石組
男根を模した陽石と女陰を象徴した陰石で一対の石組。子孫繫栄への祈願をこめて組まれる。おもに後継者不在による改易を危惧した大名庭園で見受けられる。岡山後楽園に多数存在する。

滝石組
蘭渓道隆が登竜門の故事を禅僧の修行に例え、その厳しさをビジュアルにしたのが初出。三段の滝石とそれを登ろうとする鯉魚石で構成される。これらをあわせて龍門瀑という。庭によって鯉魚石の位置や高さが異なり、それぞれの興趣がある。時代を経ると禅宗的な思想は薄れていったが、龍門瀑の見た目の面白さは追究が続いた。

橋石組
龍門瀑の前に設置され、禅の教えを熱心に見つめなおすことができるようになっている。多くの場合三枚の橋がかけられる。戦国時代前後には橋の架け先が他の島になったり、石橋そのものが巨大化したりと変遷が見られた。

Q6.水景ってなに?
日本庭園における水景とは、水の流れや動きで表現できる趣のことだ。池泉庭園で見られるが、枯山水にも、砂の流れや石の向きで指し示すことができるものもある。
池(=海)
海は蓬莱式においては仙山を中心とした世界の一部の象徴として見られたが、池舟回遊式では浮かんで楽しむもの、更に時代を下ると水を見て見て楽しむもの、清涼感を感じさせるもの、ミラーレイクが映える景観など、多種多様な意趣を交えるようになった。ただ、いずれにしろ、世界を構成する大きな要素としていることに違いはない。枯山水の場合、立石を島に見立て、ほかの地面を海として浮彫にしたり、黒石を敷き詰めて色の違いで演出するといった工夫がみられる。

滝
自然の象徴として設置される。日本庭園の重要なモチーフとされ、龍門瀑を含め、滝の流れを見て取れる庭園は多い。古来より多種な造り方が伝わっている。
| 稜落ち | 滝が正面から見て斜めを向いているよう、滝の面を少し左か右に斜めに向けて落とす |
| 向かい落ち | 二筋の水が向かい合うように落ちる方式 |
| 片手落ち | 滝壺に石を置き、そこに当たると水の向きがかわるように落とした方式。二段滝のような構図になる |
| 糸落ち | 滝口の部分に凹凸のある水落石を置き、水の方向を複数に分散することでいくつもの糸のような滝をつくる方式 |
| 重ね落ち | 二重三重に水落石を重ねて水路をつくり、滝の落差に応じて、水の筋がいくつも交錯しながら落ちる方式 |
| 伝い落ち | 水落石のひだに従って水が伝い落ちる方式 |
| 布落ち | 淀ませておいた水落石にゆるく流しかけ、布をかけたような落とし方にする方式 |
| 離れ落ち | 滝口に鋭角の水落石を立てて、急流として落とす方式。水が石を伝わらず、一気に落ちる |

曲水
鑓水と言い換えてもいい。鑓水とは、寝殿造庭園において、外から水を引き入れて庭園につくった流れを指す。実用性だけでなく、優美さも追究され、曲水の宴の舞台となった。現存するものはほぼないが、太宰府天満宮などにわずかに見て取れる。新しく造り、文化を保存しようとする試みもある。

州浜
海岸線を模して造られ、ほぼ同じ石をしきつめ、なだらかさを出している。曲線的な美は日本庭園の最たるものだ。水と岸との境界を州浜によってあいまいにすることで境界がやわらかで美しくなる。堅牢で崖を模した護岸石組とは対照的だ。

橋
苑池や川を渡るために設置される。橋は大きく4つに分けられる。木橋は丸木橋・板橋・桁橋・跳橋などがある。とりわけクローズアップされるのは永保寺の無際橋・伊勢物語に因んだ八つ橋などがある。
石橋は一枚石の板石橋から、二枚以上の継石橋、後楽園円月橋のようなアーチ橋などがある。
土橋とは、積み上げた丸太と橋桁に土をのせて固めたもので、全国に数多く残っている。
石橋は自然石石橋と加工石を使った切石橋とに分けられる。枯山水においては、表現形式として重要な役割を担う。渡るときは左右に桁がないので、落下注意!

Q7.人工物があちこちに見あたるけど……?
石灯籠
寺社で行われる献灯の道具の模倣品。もととなった名品(これを本歌という)は、特に好事家に珍重された。しかし時代を下るとアレンジメントやオリジナルが増え、現在では後者が多数を占め、庭園の景観を彩っている。

石塔
石を積み上げて作った多層塔。多宝塔、五輪塔、宝篋印塔、板碑、傘塔婆、無縫塔、石幢などの種類があり、それぞれ形が異なる。層塔は時に十三重にまで及ぶこともあり、景観の大きなアクセントとなる。

垣
そのものが鑑賞の対象とされることはないが、背景として重要な役割を担う。土塀や石塀もあるが、最もポピュラーなのは竹垣である。野趣、風情が好まれるからだ。竹を割った立子を張り付けたもの、竹の帆を張り付けたもの、小竹をそのまま張り付けたものの三種に分かれる。著名な垣は光悦垣や龍安寺垣が有名。露地の庭としては柴垣が好まれる。

手水鉢
庭園内や縁先に置かれ、手を洗い口を注ぐためにあるものである。石や陶器、金属を加工したものが多いが、自然石をそのまま利用したものもある。他の石造美術のパーツを流用したものもあり、それらは見立物と呼ばれる。手水鉢の前には水を使うために蹲踞が置かれることがある。これは蹲踞の姿勢で使うことから名を取られている。蹲踞の周囲には石を配置するが、それらの置き方は流派によって異なる。蹲踞と併設して、手水鉢の近くの地中には水琴窟が設けられる。地中の空洞の中に手水鉢の排水を落とし一滴二摘と落とし、その音が反響して縦穴を通して外部に涼やかな音を響かせる。

Q8.借景って何?
造園技巧の一つ。庭園外の山、海、森林などの風景を、庭園の景の一部としてとり入れること。とりこまれる景物は自然の山(嵐山や伊吹山)が多いが、並木、あるいは楼閣や塔のような建造物の例もある。中世までは眺望にすぐれた立地を求めたり、自然そのものと融合させることが中心であった。っしかし近世以降は庭内に近景、中景をおき、借景を庭園の遠景として、庭園に空間的広がりを与え,庭園を絵画的に変質させる技法となった。
山の借景
例:正伝寺の比叡山

川の借景
例:吉野川を借景とした本楽寺。川を借景とした庭園は全国でもここだけ。

建築物の借景
例:向島百花園の東京スカイツリー

Q9.ずばり季節ごとの魅力は?
春
春は桜。少し早ければ梅、遅ければ躑躅と贅沢な季節であり、花粉症でなければ春の陽気に誘われて庭を見るでなくても出歩きたくなる季節だ。勿論花見に人々は沸き返り、移動しながら見るタイプの名所は鑑賞のためにゆっくりした時間が取れないこともある。とある寺では花見の季節の時だけ拝観の客が1000倍になるとかなんとか……。桜を主として庭園を添え物として見ると見落とすものが多いので、両方を楽しむよう留意しよう。

夏
夏は涼。特に真夏の京都など熱気がこもる場所なら尚更、暑い中庭園巡りをするのは絶対に推奨できない。涼しくて影になるところや、冷房がついているところでの鑑賞をするか、大名庭園なら東屋で適度に休憩して水分補給をすべし。外気温とのギャップで気分のいい鑑賞ができる。

秋
秋は紅葉。変わりゆく紅葉から、燃えるような色彩まで、地に落ちた葉を踏みしめる感触、舞い落ちた一葉が庭にワンポイントを添える風情など筆舌に尽くしがたし。勿論その美しさは万人の周知することろなので、単に有名どころ(東福寺の通天橋など)に向かうのではなく、事前に人が少なく紅葉が空に映えるところをリサーチしていこう。360度の天国に立つことができる。ライトアップもオススメ。

冬
冬は雪……。と言いたいところだが鑑賞に行ったときに庭が都合よく雪化粧しているとは限らない(北国は別とする)。大雪だとそもそも行き帰りが困難だったりもする。つまり大体の場合、色の無い庭園の骨格と相対することになる。しかしそれこそが庭園鑑賞の醍醐味であるとも考えられる。装飾を省いた庭園はただ誤魔化しようもなくそこに座し、姿と理とを露わにしているからだ。見るものがなくて池に鯉の姿を探すようなことをせず、殺伐とした景色を心に刻むべし。

10.日本庭園ってどうやって維持されているの?
荒廃からの復興
庭園も生き物であり、手入れをしなければ容易に絶息してしまう。庭園の設計図や遺構の輪郭から従来のかたちを推測し、復元することは容易ではない。しかし、多大な労力の末に多くの名庭がこのようにして現代に甦ってきた。例えば、重森三玲による山口県漢陽寺の各庭園や吉河功の徳島県桂國寺などがある。現在は作庭家や研究家ではなく造園会社による整備が主流となり、旧秋田藩主佐竹氏別邸や京都・松花堂庭園などがある。現在進行形で整備・工事が進んでいるものもあり、公開が楽しみだ。
庭園のメンテナンス
以上のように庭園は死と再生を経験しているものもあるが、当時の景観がそのまま残されているに如くことはない。古くは庭師が剪定を手作業で行い、今も庭園を見に行った折に業者がホースで水を撒いている光景を見たことがある人も多いだろう。しかし、ただ形を維持するだけが庭師の仕事ではない。文明の発展とともに周囲の景観が姿を変え、臨めるはずの山が見えなくなったり、整合性を取るために設計の修正を迫られたりといったことがあるからだ。逆に、銀閣寺庭園の向月台のように庭園に改善を加えようとする試みも見られる。良くも悪くも庭園は移ろっていくものなのだ。
庭園の消失
庭園の維持には相応のコストがかかる。実際寺社の方の話を伺うと、苦しい懐事情を察することができる。例えば台風の被害を自費で賄わなければならなかったりするといった話だ。文化財には助成金が出るがそれでは到底賄いきれないのだ。個人や企業が所有、管理している庭園については推して知るべし。重森三玲というブランドの庭園も個人所有のものは殆ど消失しているし、企業で庭園鑑賞を売りにしているところでも閉鎖解体を余儀なくされることもある。最近でいうと大阪の太閤園や、京都平安ホテルの廃業は心の底から残念だった。特に後者は海外の日本庭園ランキング(http://gardenrankings.com/)でも上位常連だっただけに怒りすらあった。

11.有名な作庭家は?
蘭渓道隆
代表作 建長寺庭園、東光寺庭園
鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧。諡は大覚禅師。法諱は道隆。号は蘭渓。建長寺の開山。33歳で来日、臨済宗を広める。執権北条時頼の帰依を受け、建設された建長寺に赴き開山となった。元寇が起きると密偵の疑いをかけられて伊豆に避難し、修善寺に来住した。その後京都府建仁寺の住持を務め、建長寺に帰還。しかし讒言により甲斐に流される。この時東光寺を再興したと伝えられる。赦されて建長寺に戻ると、そこで晩年を過ごし、弘安元年(1278年)7月に同寺で没した。
作庭家としては最初に禅の思想を日本庭園に取り入れたという功績が大きい。

夢窓疎石
代表作 西芳寺庭園、天龍寺庭園、永保寺庭園
1275年誕生。1292年、奈良県東大寺で受戒する。各地を巡り様々な師の教えを請い、最終的には鎌倉浄智寺で印可を得た。その後、永保寺を開く。後醍醐天皇に招かれ南禅寺の住持となるが、1年で職を辞し鎌倉に帰る。この頃当地に瑞泉寺を開く。円覚寺に滞在しているときに執権北条家の信頼を得て、1330年に甲斐に恵林寺を開く。鎌倉幕府が滅び建武の新政が始まると、当時の有力者だった足利尊氏の信頼を得る。1335年に後醍醐天皇から「夢窓国師」の号を授けられた。請われて西芳寺の中興開山となると、さらに天龍寺も開き、この時の資金調達の方として「天龍寺船」を尊氏に献策している。歴代の天皇から七度にわたり国師の称号を授与され、「七朝帝師」の異名を得ている。1351年没。
蘭渓道隆と比べて遥かに多作だった。自然主義をベースにし、石組で禅の思想を問う彼の作風はスケールが大きく、美しさも群を抜くものがある。

雪舟
代表作 医光寺庭園、常永寺庭園
「雪舟」は号で、諱は「等楊(とうよう)」。1420年生まれ。10歳で相国寺に入り、そこで水墨画と禅を学んだ。その後、名を挙げ、30代半ばで雪舟を名乗る。1467年に遣明船で明へ渡航。水墨画の研究を続け、2年後に帰還。西日本を拠点に創作活動に勤しんだ。1500余年に没。
雪舟といえば水墨画、のイメージが強いが作庭家としても非凡な才があった。医光寺、萬福寺、常栄寺、旧亀石坊庭園は雪舟庭四大庭園としてとくに有名であり、すべて国の指定名勝である。主に山口県と島根県に作品を残す。蓬莱式の庭園が多い。

上田宗箇
代表作 粉河寺、縮景園
本名上田重安。僧門に入ったのちは宗箇を名乗った。1563年~1650年没。丹羽長秀譜代の重臣だったが、後に豊臣秀吉に召し抱えられ大名となる。関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗北すると剃髪したのち流遇を経て蜂須賀家政の客将となる。彼の依頼により徳島城表御殿庭園を造った。縁あって浅野家の家老として一万石を与えられ、同時に還俗した。和歌山城西の丸庭園、粉河寺庭園はこの頃の彼の作品である。晩年は茶道と造園に生き、縮景園を作庭した他、尾張徳川家に請われて名古屋城二の丸庭園の作庭も担当した。
千利休、古田織部と深い親交があった宗箇は自身も又独特の感性を持っていた。寺院や城を主として作庭したが、いずれも武将らしい豪壮な大名庭園で、桃山時代を背景とした主張が強いものになっている。

小堀遠州
代表作 二条城二の丸庭園
本名は小堀政一だが、後に遠江守に任じられたことから、遠州の名の方が通りがいい。1579年生まれ。幼少の頃から千利休や黒田如水の知遇を得、豊臣秀吉の代になると古田織部から茶の湯を学んだ。この頃水琴窟を発案。秀吉没後は家康に仕え、駿府城や名古屋城大阪城、様々な城や屋敷の修復・移転に奉行として携わっていく。多くの茶会を開き文化人と交流した。秀忠の死後1632年、南禅寺に庭園を築造。以降も数寄に生きつつ政事を続け、1647年69歳で鬼籍に入った。
各地で造営に携わった小堀遠州には作品が数多くあるとされる。豪放な作風が特徴的だ。しかし伝小堀遠州のものはあっても、確実に自身が作庭したものは住居の大徳寺孤篷庵等一握りである。伝小堀遠州の中にも真偽にかかわらず優秀な庭園が多くあるので、ブランドでバイアスをかけずに無心に楽しむべし。

石川丈山
代表作 渉成園、詩仙堂
1583年~1672年没。若年の折には武功を挙げて身を立てることを考えていたが、抜け駆けにより主君の徳川家康の勘気を蒙り隠棲。藤原惺窩に師事して儒学を学んだ。仕官を嫌い清貧を好んだが、母を養うため浅野家の禄を食んでいた時間も長い。官職を辞すると再び京都で隠棲を始め、詩仙堂を建築。その後、渉成園も手掛ける。文武ともに優れた彼には多数の仕官の誘いがあったが、後水尾上皇の招請も含めて全て断り、ひたすら学問にいそしんでその生涯を終えた。
寡作だが品のある庭園を残している。

七代目小川治兵衛
代表作 無鄰菴、旧古河庭園
1860年生まれ。六代目小川治兵衛の養子。屋号は植治。1879年に襲名。作庭を本格的に始め、山形有朋の依頼で琵琶湖疏水事業を手掛ける。次いで並河靖之邸の庭園、山形有朋の無鄰菴を築造し、当時の作庭家の第一人者とみなされるようになる。明治から大正にかけて、多くの依頼を受けて公私ともに腕を振るった。質量ともに優れた彼の作品は高い評価を受け、天皇家の依頼で、御所・離宮の造園・改修も手掛けた。生涯を作庭に捧げ、1933年、74歳で没した。
自然主義を基調とした開放感溢れる彼の作風は「植治流」と呼ばれ、後の世に大きな影響を与えた。彼の作品としてあげられているものの一部を以下に記す。
- 無鄰菴
- 平安神宮神苑
- 円山公園
- 慶雲館庭園
- 旧古河庭園(和洋折衷、洋風の部分はジョサイア・コンドル)
- 慶沢園(旧住友家本邸庭園)
- 国際文化会館日本庭園(旧岩崎家鳥居坂別邸)
- 並河靖之七宝記念館庭園(旧並河靖之邸宅工房跡)
- 京都国立博物館庭園
- 東寺小子房庭園
- 高山寺遺香庵庭園
- 高台寺土井庭園
- 仁和寺庭園
- 大徳寺庭園

重森三玲
代表作 東福寺本坊庭園、岸和田城八陣の庭
1896年生まれ。三玲の名はフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したもの。作庭家として優れていただけでなく、日本庭園史の研究の第一人者であり、日本庭園の通史を語る上で彼の存在を欠かすことはできない。若年は日本絵と茶道を学び、いけばなでは斯界の革新を世に宣言した。1950年前後では創作研究グループ「白東社」を主宰、前衛いけばなに積極的にかかわるようになる。一方日本庭園は独学で習得した。1936年より全国の庭園の実測調査を開始、全国500箇所で古今東西の庭園を計測して、庭園研究家として先鞭をつける。1939年『日本庭園史図鑑』26巻を上梓し、日本庭園史の基底を築く。イサム・ノグチと深い親交があり、彼に大きな影響を与えたとされる。1975年に没したが、死後1976年には息子の重森完途が共著の『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を発表し、研究の成果を世界に開陳した。
三玲の作品は和とモダンの融和が特徴。力強い石組を、豊富なアイデアの苔・砂紋で支える枯山水は彼の専売特許である。多くの作品を残したが、彼の設計思想を見て取るには東福寺方丈庭園を見て回るのが一番良いだろう。なにか感じるものがあるはずだ。

中根金作
代表作 足立美術館
1917~1995年没。昭和の小堀遠州とも呼ばれた作庭家。造園学校に進学後、園芸技師に任用される。徴兵に翻弄されるも、城南宮楽水苑、退蔵院余香庵の築造後、中根庭園研究所を設立した。その後は足立美術館のような国内の庭園だけでなく、ボストン美術館天心園やジュロン・タウン日本庭園星和園など、海外でも作庭を手掛け、グローバルな足跡を残した。
大名庭園、枯山水、露地庭など多種多彩な日本庭園を築造。多数の古庭園の保存修理を国庫の補助金を受けて手掛けた。他300個以上の庭園を造り、勲章も多数受賞した。

その他
宮本武蔵
兵庫県明石市にいくつかの作庭あり。そのうち一つはずばり名前が宮本武蔵の庭。
重森完途
重森三玲の息子。日本庭園史体系を父とともに編纂。島根県庁庭園などを造る。
伊藤邦衛
広島の三景園や東京の目白庭園を作庭した。
12.有名な日本庭園が知りたい!
日本には著名な庭園が数多くあり、どれに足を運ぶか迷う人も多いかと思われる。そこで一つの指標として、文化庁の指定した名勝庭園の一覧を下記に挙げる。赤線をひいているのはその中でも特にオススメの場所だ。
全国指定名勝庭園一覧
青森県
- 金平成園(澤成園)
- 瑞楽園
- 須藤氏庭園(青松園)
- 清藤氏書院庭園
- 盛美園
岩手県
- 旧観自在王院庭園
- 煙雲館庭園
- 旧有備館および庭園
- 齋藤氏庭園
秋田県
- 旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園
- 旧池田氏庭園
福島県
- 会津松平氏庭園
- 南湖公園
山形県
- 玉川寺庭園
- 酒井氏庭園
- 總光寺庭園
- 本間氏別邸庭園(鶴舞園)
群馬県
- 楽山園
茨城県
- 西山御殿跡(西山荘)
千葉県
- 旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)
- 旧堀田正倫庭園
- 髙梨氏庭園
東京都
- 懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸庭園)
- 旧朝倉文夫氏庭園
- 旧芝離宮庭園
- 旧古河氏庭園
- 小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)
- 伝法院庭園
- 殿ヶ谷戸庭園(随冝園)
- 向島百花園
- 横山大観旧宅及び庭園
神奈川県
- 円覚寺庭園
- 建長寺庭園
- 三溪園
- 瑞泉寺庭園
新潟県
- 旧齋藤氏別邸庭園
- 旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園
- 旧関山宝蔵院庭園
- 貞観園
- 渡辺氏庭園
石川県
- 上時国氏庭園
- 旧松波城庭園
- 成巽閣庭園
- 時国氏庭園
- 那谷寺庫裡庭園
福井県
- 伊藤氏庭園
- 梅田氏庭園
- 旧玄成院庭園
- 西福寺書院庭園
- 柴田氏庭園
- 城福寺庭園
- 滝谷寺庭園
- 萬徳寺庭園
- 三田村氏庭園
- 養浩館(旧御泉水屋敷)庭園
山梨県
- 恵林寺庭園
- 向嶽寺庭園
- 光前寺庭園
岐阜県
- 永保寺庭園
- 江馬氏館跡庭園
- 東氏館跡庭園
静岡県
- 旧沼津御用邸苑地
- 柴屋寺庭園
- 清見寺庭園
- 楽寿園
- 竜潭寺庭園
- 臨済寺庭園
愛知県
- 旧龍性院庭園
- 名古屋城二之丸庭園
三重県
- 北畠氏館跡庭園
- 旧諸戸氏庭園
- 諸戸氏庭園
滋賀県
- 居初氏庭園
- 円満院庭園
- 延暦寺坂本里坊庭園
- 雙厳院庭園
- 宝積院庭園
- 滋賀院門跡庭園
- 佛乗院庭園
- 旧白毫院庭園
- 旧竹林院庭園
- 蓮華院庭園
- 律院庭園
- 実蔵坊庭園
- 寿量院庭園
- 大角氏庭園
- 旧秀隣寺庭園
- 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園
- 朽木池の沢庭園
- 慶雲館庭園
- 玄宮楽々園
- 光浄院庭園
- 胡宮神社社務所庭園
- 金剛輪寺明壽院庭園
- 西明寺本坊庭園
- 浄信寺庭園
- 青岸寺庭園
- 善法院庭園
- 大通寺含山軒および蘭亭庭園
- 多賀大社庭園
- 兵主神社庭園
- 福田寺庭園
大阪府
- 岸和田城庭園(八陣の庭)
- 南宗寺庭園
- 西山氏庭園(青龍庭)
- 普門寺庭園
- 龍泉寺庭園
兵庫県
- 安養院庭園
- 旧赤穂城庭園
- 本丸庭園
- 二之丸庭園
- 旧益習館庭園
- 旧大岡寺庭園
- 田淵氏庭園
奈良県
- 依水園
- 円成寺庭園
- 旧大乗院庭園
- 慈光院庭園
- 当麻寺中之坊庭園
- 法華寺庭園
和歌山県
- 粉河寺庭園
- 琴ノ浦温山荘庭園
- 天徳院庭園
- 根来寺庭園
- 養翠園
京都府
- 円通寺庭園
- 燕庵庭園
- 旧円徳院庭園
- 玉鳳院庭園
- 桂春院庭園
- 高台寺庭園
- 孤篷庵庭園
- 今日庵(裏千家)庭園
- 酬恩庵庭園
- 聚光院庭園
- 松花堂及び書院庭園
- 成就院庭園
- 渉成園
- 照福寺庭園
- 真珠庵庭園
- 杉本氏庭園
- 清風荘庭園
- 大仙院庭園
- 退蔵院庭園
- 對龍山荘庭園
- 知恩院方丈庭園
- 智積院庭園
- 滴翠園
- 東海庵書院庭園
- 東福寺本坊庭園
- 南禅院庭園
- 南禅寺方丈庭園
- 仁和寺御所庭園
- 白沙村荘庭園
- 平等院庭園
- 不審庵(表千家)庭園
- 平安神宮神苑
- 本法寺庭園
- 円山公園
- 曼殊院書院庭園
- 妙心寺庭園
- 無鄰庵庭園
- 龍安寺庭園
- 霊雲院庭園
- 霊洞院庭園
鳥取県
- 尾崎氏庭園
- 観音院庭園
- 深田氏庭園
島根県
- 医光寺庭園
- 菅田庵
- 旧堀氏庭園
- 万福寺庭園
- 櫻井氏庭園
岡山県
- 旧津山藩別邸庭園(衆楽園)
- 頼久寺庭園
広島県
- 吉川元春館跡庭園
- 旧万徳院庭園
- 縮景園
- 浄土寺庭園
山口県
- 常栄寺庭園
- 常徳寺庭園
- 宗隣寺庭園
- 毛利氏庭園
徳島県
- 阿波国分寺庭園
- 旧徳島城表御殿庭園
愛媛県
- 臥龍山荘庭園
- 旧広瀬氏庭園
- 天赦園
- 保国寺庭園
高知県
- 竹林寺庭園
福島県
- 旧伊藤傳右エ門氏庭園
- 旧藏内氏庭園
- 清水寺本坊庭園
- 立花氏庭園
- 戸島氏庭園
- 英彦山庭園
- 旧座主院御本坊庭園
- 旧座主院御下屋庭園
- 旧政所坊庭園
- 旧亀石坊庭園
- 旧泉蔵坊庭園
- 旧顕揚坊庭園
- 英彦山神宮旅殿庭園
- 藤江氏魚楽園
佐賀県
- 九年庵(旧伊丹氏別邸)庭園
長崎県
- 石田城五島氏庭園
- 旧円融寺庭園
- 旧金石城庭園
- 棲霞園及び梅ヶ谷津偕楽園
熊本県
- 旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園
- 水前寺成趣園
大分県
- 旧久留島氏庭園
宮崎県
- 妙国寺庭園
鹿児島県
- 旧島津氏玉里邸庭園
- 志布志麓庭園
- 天水氏庭園
- 平山氏庭園
- 福山氏庭園
- 仙巌園
- 附 花倉御仮屋庭園
- 知覧麓庭園
沖縄県
- 伊江御殿別邸庭園
- 伊江殿内庭園
- 石垣氏庭園
- 首里城書院・鎖之間庭園
- 宮良殿内庭園

